
あなたという存在
一体何が足りないのでしょうか?それは、「あなたという存在」です。私は、コーチであり、真我発見セミナーのトレーナーをしていました。
北は北海道から、南は沖縄まで、日本の全国を巡り回りました。
スタッフは、その地域の人々でした。
どの地域のスタッフも責任感が強く、また楽しくセミナーを開催してくれました。
セミナーには、少し厳しいトレーニング内容もありましたが、それを乗り越えたところに感動がありました。
良い音楽を聞き、体を動かし、大きな声を出して、人間の持つ感覚を改めて認識することは大切なことです。
これらの感覚は生命の感覚であり、生命の喜びを感じることができるからです。人間は動物です。体を動かしたり、声を出したりすることは、生命の喜びを呼び覚まします。この喜びは、ダンスやスポーツ、カラオケなどでも、ある程度は感じることができます。
私のセミナーは、それらに加えて、呼吸に集中したり、瞑想することなどを通して、今までになかった体験を通して深く感動し、いつも皆が満たされた気持ちで幕を閉じました。セミナーを受けた人々は、鬱屈したストレスを吐き出し、悩みや不安を吹き払って、晴れ晴れとした気持ちになって、元気に明るくなりました。
スタッフも私も、その人々を見て、喜びを感じました。残念ですが、たったそれだけのことです。セミナーを受けた人々も、時と共に、その感動も薄れ、元気さを失って行きました。
結局、私は、彼らに何も与えることができなかったのです。
ちょっと楽しい体験をさせて、少し明るい気持ちにさせただけなのです。
私にとっては、このような結果しか残すことのできないセミナーは不本意なものでした。
一時的な感動、時と共に薄れて行く儚い希望を与えるだけのセミナー・・・・・・・このようなセミナーやコーチングを行うことに無意味さを感じました。そして、トレーナ、コーチングから決別しました。そして、私が願うものを求める旅が始まったのです。数千冊に上る書籍に目を通し、世の中で行われているセミナーにも参加しました。
そのどれもが、私には、「何かが足りない」のです。
世の中には、専門的な知識や技術など価値ある情報は限りなくあります。
人間の生き方に関する思想、ノウハウ、修行法も限りなく存在します。「優れた人類の知恵に何かが足りない」などとは、私はなんと不遜な人間なのでしょうか。
私は、これらの人類の知恵に価値がないと言っている訳ではないのです。
いままでの人類が作ってきたものは、それが物的なものであれ、精神的なものであれ、それがあるから、次の段階に進むことができるのです。
私も、それらを知ることができるから、何かが足りないと感じることができたのです。この「何か足りない」というものは、私が接した情報に共通するものでした。そして、あるとき気づきました。「足りないものが何か」が分かったのです。アメリカには、スターミュージシャンのようなスタートレーナーやスターコーチがいます。大勢の人を集めて、皆を勇気付け、元気にします。しかし、いかに偉大なトレーナーであれ、コーチであれ、セラピストであっても、本質的には、私がしていたセミナー、コーチングと変わりはありません。優れた宗教の開祖もいました。賢者と言われた沢山の精神的指導者もいました。
そのような人々の教えは、膨大な知的財産として私たちに伝えられています。そして、現在もスターと呼ばれる、セミナートレーナーやコーチ、精神的指導者が多数存在します。そのどれもが、優れた教えを伝えています。一体何が足りないのでしょうか?それは、「あなたという存在」です。膨大な尊い教えに「あなたという存在」がないのです。
